今年の冬は、極上の時間とともに過ごそう。

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今年の冬は、極上の時間とともに過ごそう。

目次[非表示]

  1. やっとお届けできるようになった作品
  2. 「ミツバチのささやき」
  3. 「映画」の興奮と余韻
  4. 読み解こうとしなくていい
  5. モノクロームのマジック
 今回、ザ・シネマメンバーズで新たにお届けする4作品は、スペイン、ハンガリー、フィリピンというそれぞれの土地の風土や歴史をも織り込んだ、クラフトマンシップが光る至高の逸品。いずれも、舞台となっている時代の空気とともに精緻に物語が紡がれていく。

 LAでもニューヨークでもパリでもない、メインストリームから遠く離れた、辺境の地からもたらされた“映像詩”を観ること自体を旅のように捉えてみたい。

やっとお届けできるようになった作品

 ヴィクトル・エリセは、寡作で知られる映画作家で、現在80歳だが、長編映画は、3本しか撮っていない。最初の2作、1973年作の「ミツバチのささやき」と1983年作の「エル・スール」を、日本では、おそらくは「エル・スール」の公開に合わせる形で、シネ・ヴィヴァン六本木で1985年に両作とも上映となっている。「ミツバチのささやき」は、シネ・ヴィヴァン六本木で記録的な動員数となり、当時のミニシアターを代表するような伝説的な作品となった。

 その後も、さまざまな上映会やHDリマスターでのリバイバル、ミニシアターで観る機会はあったものの、直近ではなかなかアクセスしづらい作品となってしまっていた。

 ザ・シネマメンバーズでは、今年4月での配信系ミニシアターとしてのリニューアルを計画していた段階から、「ミツバチのささやき」、「エル・スール」は、必ずラインナップに入れたいと切望しており、今回、ようやく念願かなってお届けできることになる。

ミツバチのささやき

「ミツバチのささやき」

 内戦後、フランコ独裁政権下のスペイン。小さな村に巡回上映の映画がやってくる。集まってきた子供たちに「すごい映画だよ。」というそのフィルムは、ジェイムズ・ホエールの映画「フランケンシュタイン」。

 「フランケンシュタイン」は、そもそもは、メアリー・シェリーによるゴシック文学の金字塔であり、ヴィクター(ヴィクトル!)・フランケンシュタイン博士によって創り出された“creature”の悲劇の物語だ。それは、善良な心を持っているにもかかわらず、その醜悪な外見によって、「怪物」と呼ばれてしまうこと。そして言語を修得することによって、己の醜さに気づき、苦悩するという、実は、生命を創造してしまった男の罪と罰の物語というよりも、「見ること」と「言語化」についての物語だった。

 もちろんそんな文学理論のような要素が映画に盛り込まれているわけではないのでご安心を。しかし、フランケンシュタインというモチーフを兵士と少女とをつなぐ重要なキーとして物語に使うその手法にしびれる。未知の来訪者との心の交流へのあこがれにも似た静かなまなざし、「心で唱えればいつでも会える」という姉のちょっとした嘘、悪とされるものは本当に悪なのか?そして悪は必ず始末されなければならないのか?といったさまざまな要素や問いかけ。それらが少女の無垢な表情、静かに紡がれていく日々の映像によって、観客に伝わってくる。

「映画」の興奮と余韻

 ヴィクトル・エリセの作品は、陰影の深いトーンと丁寧なクローズアップ、非常にクラシカルな撮り方で作られていることに加えて、「映画」の興奮を味わえる箇所が随所にちりばめられている。代表的なシーンは、「ミツバチのささやき」で、母親が自転車に乗って駅へ行くシーン。曲がりくねった道をやってきて、自転車から降りた彼女がそのままホームへと歩いていくと、画面の奥から列車がやってくる。まるでリュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」のように。これを1カットで見せてくれるのだが、まさに強烈に「映画」であることの興奮を感じられるシークエンスとなっている。

 そして物語は、巧妙にいくつかのことを「見せてくれない」-。「ミツバチのささやき」、「エル・スール」の両作ともに、それが誰なのか、なぜなのか。ということについては語られない部分がある。「ミツバチのささやき」で、母親が手紙を出している相手を観客は「見せてもらえない」し、兵士がなぜ逃亡したのか、父親が電話で話しているどうやら政治関連のことについても説明されない。「エル・スール」でも、少女に嫌がらせをする少年は最後まで映らないし、父親がなぜ今だに想いを寄せているのか、その女性はどうしているのかも映らない。

 それでも映画は十分に「物語って」くれるし、静かに観客の心にさざ波を立てて終わっていく。非常に余韻の長い映画だと言えるのではないだろうか。

エル・スール

読み解こうとしなくていい

 今回ラインナップする4作品とも、映画で描かれているその時代、何が起こっていたのかということが作品とともに語られていることが多いだろう。それによって若干の敷居の高さを感じてしまうかもしれないが、気にしなくていい。しいて言うならば、「ミツバチのささやき」、「エル・スール」では、スペイン内戦後の独裁政権下での抑圧された空気が、「私の20世紀」では、20世紀の幕開けという時代の変わり目が、「立ち去った女」では、1997年の香港返還の影響をうけるフィリピンの社会情勢が、それぞれ、作品のムードに反映されている。そのくらいの前情報で観てしまって大丈夫だ。

 暗喩が読み解けなければ、あるいは社会情勢を踏まえて観なければ理解できないのか?きちんと鑑賞したことにならないのか?というと、そんなことはないのだ。もちろんサブテキストとして、時代背景やモチーフとなっているものを深掘りしていくこともまた、映画の楽しみ方であり、豊かな広がりがそこにはあるけれども、それを前提に構える必要などないのだ。目の前のものに素直に没頭したい。

モノクロームのマジック

 そして、ヴィクトル・エリセ2作品に加えて、もう2作品。世紀の変わり目を、エジソンの電球、マッチ売りの少女、オリエント急行などなど、ありとあらゆるモチーフを織り込んで一つのユニークで美しい作品に仕上げてしまった「私の20世紀」。情景を隅々まで写し切るかのような長回しを用いた描き方で丹念に物語が紡がれる「立ち去った女」をお届けする。どちらも意図してモノクロームで撮られた傑作だ。ここではないどこかにイマジネーションを飛躍させてくれる詩情あふれる映像にゆっくりと浸ってほしい。
新しい年は、極上の映画体験とともに過ごしてみては。


「ミツバチのささやき」© 2005 Video Mercury Films S.A.
「エル・スール」© 2005 Video Mercury Films S.A.

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