青野賢一 連載:パサージュ #3 バイタリティあふれる女性の物語──『キカ』

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青野賢一 連載:パサージュ #3 バイタリティあふれる女性の物語──『キカ』

目次[非表示]

  1. キカとニコラス、ラモンの出会い
  2. 闖入者が事態を変える
  3. サイコ・サスペンスになだれ込む物語
  4. ブニュエルの影響と古典作品への目配せ
  5. ダメな男たち、パワフルな女たち
  6. 自分の道は自分で選ぶ
 カラフルなセットと衣装、スピーディーに繰り広げられる会話の妙──ペドロ・アルモドバル監督の『キカ』(1993)の印象を端的に表現するならばこのようになるだろうか。だが、賑やかなこの映画は中盤を過ぎたあたりから様子が大いに変わってくる。この落差が実に面白いのである。

キカとニコラス、ラモンの出会い

 フォトグラファーのラモン(アレックス・カサノヴァス)は、父母と暮らす自宅の門の手前で家のなかからの銃声を耳にする。慌てて家に入ると父──母の再婚相手なのでラモンにとっては継父──のニコラス(ピーター・コヨーテ)が腕から血を流していた。どうやら母がピストル自殺を図ったようで、ニコラスは止めに入ったところを撃たれたという。母は即死だった。
 ニコラスは世界各地を旅しながら小説を執筆しているアメリカ人作家で、彼が以前にテレビ出演した際にメイクを担当したのがキカ(ベロニカ・フォルケ)。あるときキカはニコラスの自宅に呼びつけられる。ふたりはその頃すでに関係を持っていたので、キカは家に着いたら即ベッドだろうと考えていたら、ベッドにはラモンが顔色を失って横たわっていた。ニコラス曰く、ラモンが心臓発作で亡くなったので死化粧をしてほしいということだ。キカが文句をいいながらもラモンに化粧を施していると、なんとラモンが息を吹き返した。死んだのではなく発作で意識を失っていただけだったのだ。これをきっかけとして、ラモンとキカは部屋を借りて同棲を始めることとなる。

「キカ」©1993 - EL DESEO - TF1 DROITS AUDIOVISUELS

闖入者が事態を変える

 同棲から2年が経過した頃、ニコラスが執筆のための取材旅行からスペインに帰ってきた。ラモンたちの住まいの上階にあるラモンの仕事場にしばらく身を置くこととなったニコラスだが、女出入りが実に激しい。キカの親友や謎のアメリカ人女性、そしてキカもそのうちのひとり。ラモンと交際しつつも、ニコラスとは切れていなかったのだ。
 ラモンたちの部屋のリビングのテレビでは『今日の最悪事件』という番組が流れている。ディレクターとパーソナリティを務めるのはアンドレア(ビクトリア・アブリル)。奇天烈な衣装をまとったアンドレアが残酷でショッキングな事件をレポートするというこの番組で、元ポルノ男優で現在は服役中のパブロ(サンティアゴ・ラフスティシア)が脱走したことが報じられる。アンドレアは以前は精神分析医としてラモンを診ていた女性で、それが縁となり一時はラモンと関係があった人物。パブロはラモンとキカの部屋でメイドとして働くフアナ(ロッシ・デ・パルマ)の弟である。この時点ではパブロの脱走はまだテレビのなかの出来事だったが、あるときパブロがラモンたちの部屋にやってきたことで事態は一変する──。ちなみに『今日の最悪事件』の番組出演時や取材の際のアンドレアの衣装はジャン=ポール・ゴルチエが手がけており、カラフルな作品の世界にある種の異様さと浮世離れした滑稽さを与えている(それ以外の登場人物の衣装の一部はジャンニ・ヴェルサーチェがコラボレーションというかたちで携わっている)。

「キカ」©1993 - EL DESEO - TF1 DROITS AUDIOVISUELS

サイコ・サスペンスになだれ込む物語

 脱走したパブロは姉であるフアナを頼ってラモンとキカの部屋を訪れる。犯罪者とはいえ実の弟ということで、逃亡の手助けのためにパブロに入れ知恵をするフアナ。それに従い行動するうちに、パブロは寝室で昼寝をしていたキカを見つけ、劣情をもよおした。こうなると我慢がきかない彼はキカを襲ってしまうのだが、その様子を向かいの部屋から「盗撮していたある男」が警察に通報。現場にはふたりの刑事が到着するも、パブロはバルコニーから部屋を脱出。どこで情報を聞きつけたのか現地にバイクで乗りつけていたアンドレアの愛車を盗んで逃走してしまった。
 闖入者パブロの登場により、ギリギリのところでなんとかバランスを保っていた現実はボロボロと崩れてゆく。キカとニコラスの関係、ラモンの嗜好、フアナとパブロの血のつながりが明らかになり、キカ、ラモン、フアナはそれぞれ落胆し悲しみに暮れる一方で、アンドレアは異常とも思える取材への執着心を見せ、またニコラスは落ち着いた体を装いながらもどこか焦りを隠せない様子である。映画はここからラスト・シークエンスの直前まで、いきおいダークなサイコ・サスペンスへと突入してゆく。
 冒頭にラモンの母の死はあるものの、映画の中盤までの死──より正確に表現するなら殺人──は、ニコラスの書く小説やテレビの『今日の最悪事件』といったメディア上で展開される出来事であって、登場人物たちの多くにとってはある意味別世界の話という存在だった。それが突如自分のすぐそばに置かれていることに気づいたときの驚き、恐怖は計り知れないものがあるだろうし、当然ながら前述で例外扱いとしたラモンの母の死にも疑惑の目が向けられることとなるのだった。

「キカ」©1993 - EL DESEO - TF1 DROITS AUDIOVISUELS

ブニュエルの影響と古典作品への目配せ

 コメディと評されることも少なくない本作だが、先に述べたように実はサイコ・サスペンスとしての性格が強い。冒頭に記したカラフルさや饒舌な会話といった印象は、そうしたサイコ・サスペンスの側面を巧みに覆い隠すことに貢献しており、物語がダイナミックに方向転換したかのような効果を生んでいる。笑っているうちにいつの間にか周囲に死の匂いが充満しているというこの感覚は、たとえばルイス・ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)などとも共通するものといえるだろう。また、キカがパブロに犯されているのを何者かが覗き見るところはヒッチコックの『裏窓』(1954)が思い浮かぶし、ラモンが偶然テレビで映画『不審者』(1951)を観てあることに気づくシーンなどもあって、古典サスペンス作品へのオマージュも感じられる。そんなちょっとしたところも映画好きにとっては楽しいはずである。

ダメな男たち、パワフルな女たち

 それにしても、この作品に登場する男は揃いも揃ってどうしようもない連中だ。ニコラス、ラモン、パブロばかりか、刑事の腐敗っぷり──彼らはアンドレアと癒着しているのだ──もかなり皮肉を込めて描かれている。翻って女性たちはみなバイタリティにあふれ、パワフルな印象。彼女たちは気になる相手がいたら積極的に行動するし、いいたいことははっきり口に出すし、友達を思いやる心も持っているのだ。こうした男女たちだが、それぞれは大なり小なり嘘をついたり隠しごとを有しながらバランスを取り、現実に折り合いをつけて生きている。これらの秘密や嘘の客観的な深刻度は、罪に問われるものから道徳的に問題があるもの、それほどシリアスでないものまでさまざまなのだが、それらが露呈した際にどう対処するかで最終的な運命がわかれる。誠実な対応をした人物は生き、隠蔽を図ろうとした者は死んでしまうのである。では、この作品のタイトルに名前が冠されているキカはどうだったかといえば、パブロ侵入の一件の際にニコラスと関係があることをラモンに告げ、ラモン、ニコラスの双方から離れてゆくという選択をする。実に潔い態度だと思う。

自分の道は自分で選ぶ

 ところで先に「ラスト・シークエンスの直前まで、いきおいダークなサイコ・サスペンス」と記したが、本作の最後の最後は思いのほかポジティブな印象で終わることを申し添えておきたい。ラスト・シークエンスにおける、過去に執着しすぎず前向きに人生を謳歌することを改めて決心し、自分の道は自分で選ぶとでもいうべき判断と行動をとったキカの姿はとても清々しく印象深いものだ。公開当時は、ゴルチエが参画していたこともあって、どちらかといえば表層的な部分がクローズアップされていた本作だが、それから30年近くが経過した現在に観直してみると、(現在の倫理観からはあまり歓迎されない表現も多々あるものの)ひとりの女性が本当の「自立」を目指す物語として捉えることもできそうだ。そして、そうした本質的な部分をブラックコメディやサイコ・サスペンスの要素でコーティングしたような構成も秀逸である。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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