ダルデンヌ兄弟とイオセリアーニ

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ダルデンヌ兄弟とイオセリアーニ
 ダルデンヌ兄弟の初期作品。そこに映っているのは「物語」でしょうか。「イゴールの約束」では、移民を受け入れる違法の宿泊施設を営む父子、「ロゼッタ」では、森の中のトレーラーハウスに住む母娘が描かれます。主人公の少年、少女の暮らしを追っていくカメラは揺れ、厳しい現実を淡々と生き抜いていく姿を写し続ける。

ロゼッタ

 そこでふと思うのです。現実?と。「今、そこに起きていること」を撮る。ところが当然のことながら、そこで起きていることは、演出された動きと言葉、つまり、シナリオであるわけです。現実を記録するドキュメンタリーにおいて、そこで起きていることに"手を入れて"しまうことは「ヤラセ」と呼ばれますが、逆に、物語/フィクションを前提としている「映画」である場合、そのなかで表現されている、本当に起きている訳ではない一連の出来事が現実そっくりであること、その生々しさを「リアリズム」と呼ぶのではないでしょうか。

 このリアリズムに対して、さまざまなアプローチがあり、それが作家性につながっているように思います。例えば、エリック・ロメールについての記事でロメールの作風を紹介した際に、「そこで起きていることを写す」と表現した、あの作り方と、ダルデンヌ兄弟にとっての「そこで起きていること」は、また異なるものだと感じるのです。
 ダルデンヌ兄弟の作品からは、「ドキュメンタリーのようなフィクションを撮りたい」というような強い意思を感じます。訪れる微かな変化、正直さの選択。そうしたわずかな手を入れることによって、まるでドキュメンタリーのように見えるのに、ドキュメンタリーでは実現し得ない「物語=映画」を作り出す。それがダルデンヌ兄弟の大きな特徴であり、見所といえるでしょう。

 さて、イオセリアーニです。ダルデンヌ兄弟とは対照的に、どんどんイメージが物語をはみ出していくような腕力。車が丘を上ってカーブを曲がっていったら、太極拳をしているグループが写り込むなんて、全然普通でしょ?という自由奔放な映像。ごくごく自然に人々は歌い出し、音楽を奏でる。踊り出す。カメラがパーンしていくとそれは映画の撮影シーンだった。そんな、イメージの力。イオセリアーニにとっては、フィクションとか現実とかそういう区別はなく、「まるで本当のように撮る必要」が無いのでしょう。

皆さま、ごきげんよう

 社会の混沌とした状況や現実をそのままに映し出すのではなく、あくまでも映像/イメージを優先し、歌うように、音楽を奏でるように映画を作っているように思えます。素晴らしい曲が、必ずしも意味がはっきりしている歌詞である必要がないように、素晴らしい絵画が必ずしも本物そっくりである必要がないように、映画においても、意味がわかる必要ってあるんだっけ?と自問したくなる、そんな自由奔放な映画の楽しみをイオセリアーニの作品では味わっていただきたいです。”今日より良い明日のため。”そんな明るく楽しいPUNK魂が彼の作品にはあると思うのです。
 そうそう、「汽車はふたたび故郷へ」には、エリック・ロメール「満月の夜」のパスカル・オジェのお母さん、ビュル・オジェが出演しています。

汽車はふたたび故郷へ




「イゴールの約束」©Les Films du Fleuve 
「ロゼッタ」©Les Films du Fleuve 
「皆さま、ごきげんよう」© 2010 Pierre Grise Productions 
「汽車はふたたび故郷へ」© 2010 Pierre Grise Productions

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