偶然と想像と「四季の物語」

LETTERS STAFF: E
偶然と想像と「四季の物語」

目次[非表示]

  1. 『春のソナタ』
  2. 『冬物語』
  3. 『夏物語』
  4. 『恋の秋』
 エリック・ロメールの作品は、その多くが偶然と想像で出来ている。「偶然」見かけた光景から、そのいきさつを「想像」した登場人物は、誰かにその「想像」したことを伝え、それが揉め事の種になったり、恋心が変わるきっかけになったりする。また、先走りした「想像」によって起こした行動と、誰かの単純な動機による行動とが交差し、物語に影響を及ぼすことになる。ロメールはその「交差する瞬間」=「偶然」を創り出すことを基本的にしているのだ。

 以前にも書いたが、「予想しない必然性が交差し、思いがけない出会いや出来事になる。」これがエリック・ロメールが作品に持ち込んでくる「偶然」の正体だと考えている。そして、登場人物は時に「想像」する。目の前の友人あるいは恋人がとる行動の裏にある背景を。だから話す。まるで人と人とが理解することはそれによってしか成立しないというように。

 ホン・サンスであれば、そこに日記のような主人公のナレーションを入れるだろうし、ゴダールも散文詩的なモノローグを入れるだろう。けれどもロメールは、物語を外側から語る声を入れない。それは彼が、そこで起きている出来事が別の出来事と交わることで生まれるドラマを描いてみせたいからだろう。

 「四季の物語」の4作は、いずれも四人の登場人物による四角関係の物語だ。ロメール本人が意図していなくとも、結果的にこの4つの物語はそれまでの連作よりも作品同士が韻を踏んでいるような物語になっていたり、対をなすような存在になっていたりする。それぞれ簡潔に触れていこう。

『春のソナタ』

 『春のソナタ』は、三人の女性と一人の男性。こじれた三人の関係に一人の部外者がやってきたことで、それまで想像していたことがひっくり返っていく。高校教師ジャンヌが、自分の家を貸した従妹の滞在が延びてしまい自分の家に帰れず、友だちのパーティーで出会ったナターシャの家に泊まることに。そして親子関係のこじれに引っ張り込まれることになる。

 ナターシャ、ナターシャの父イゴール、父の恋人エーヴ。その緊張関係にジャンヌが加わることで、ナターシャは彼女に話す。自分が見たこと、そこから想像したエーヴのこと―。そして、ジャンヌも自分が聞いたこと、見たこと、感じたことにより、ナターシャの策略について想像を巡らせてしまう。その二つの想像は、どちらも誤解だった。ということが偶然により紐解かれる。

『冬物語』

 『冬物語』は、一人の女性と三人の男性。運命の男、彼との再会を信じる女性、「心は他の男」を前提に彼女を受け入れようとする二人の男が描かれる。「再会できなくても彼が私の中にいる限り心は彼のもの」と言い切るフェリシーの一途な思いはほとんど信仰に近い。信じる力によって物語は方向づけられているように見えるのだが、それを支えているのは、運命の恋人が転々と場所を変え、料理人の修行をしているというフェリシーのささやかな想像なのだ。

 ありもしない愛に身を捧げる行動や言動をする姿に、とり憑かれた信念のようなものを感じる一方で、フェリシーが二人の男それぞれとは何故結ばれたくないのかは、合点がいくような情景をロメールは描いて見せてくれるので、フェリシーの信念が汚されない。そして訪れる最大級の偶然で興ざめしないのは、誰もがどこかでおとぎ話を求めていたいからなのかもしれない。

『夏物語』

 『夏物語』は、一人の男性と三人の女性。「僕は待っているのに誰も来ない」と呟くガスパールは、偶然に左右されるのを望んでいる男だ。ロメールはそんな男にレストランのウエイトレス(マルゴ)、ディスコで見かけた女性(ソレーヌ)、そして会えるどうかわからなかった友人以上恋人未満(レナ)と、三人の女性を次々とブルターニュの海岸で出会わせる。

 ガスパールとマルゴ、ソレーヌ、レナは、それぞれ幾度となく海辺を歩き、話す。そうして積み重ねられた理解と関係は、ウエッサン島へ行くという約束をそれぞれに生み出し、ある週末に向かって一気に交差してくる。偶然に左右されたい男は偶然によって、のっぴきならない状況に陥るのだが、そこから脱出する選択をさせてくれるのも偶然だ。そして物語はバカンスと恋心の余韻を残して終わる。

『恋の秋』

 『恋の秋』は、三人の女性と二人の男性の関係が描かれるため、四角関係とは言えないのでは?と思うだろう。独り身で葡萄畑にいそしむマガリに二人の女性イザベルとロジーヌがそれぞれ自分が推す男を勧めるという物語。そこでマガリを中心に置くと、イザベルとジェラルド、ロジーヌとエチエンヌという二組の男女がマガリを取り囲みながら交差する四角関係が見えてはこないだろうか。

 『夏物語』で描かれていたような身をゆだね翻弄される偶然ではなく、『恋の秋』では、イザベルもロジーヌもマガリに対して偶然を仕組む。そうしてその過程で、自分が見た光景によって想像し、行動を変えたり、あるいは想像したことから相手を理解したりする(それは察するというのかもしれないが)。そして、その仕組んだ偶然によって一番影響を受けたのは、新しい恋の予感を手に入れられたマガリではなく、偶然を仕組んだ方のイザベルなのかもしれない。夫とダンスをしながら何かを求めて宙をさまようイザベルの視線は強い印象を残すだろう。


 何気ない動機によって起こす行動、想像し思いを巡らせること、それらが交差して思いがけない出会いや出来事が生まれる。そんな偶然と想像をキーワードに「四季の物語」を見ていくことがエリック・ロメールの味わい方のひとつだと思う。
© Les Films du Losange

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