リュック・ベッソン版『勝手にしやがれ』?センス・オブ・ワンダーを誘う映画

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リュック・ベッソン版『勝手にしやがれ』?センス・オブ・ワンダーを誘う映画

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  1. リュック・ベッソン版『勝手にしやがれ』?
  2. 荒れ果てた世界のボーイ・ミーツ・ガール
  3. トーンと風景の映画
 「センス・オブ・ワンダー」という言葉は、主にSF作品に触れた時に起こる、不思議な感動や不思議な心理的感覚のことを表す言葉だ。それは、レイチェル・カーソンの名著『センス・オブ・ワンダー』とはまた違う感覚の定義になるもので、今まで見ていた世界が、それまでとは違ったもののように感じる、違う世界の入り口を感じるような感覚だ。今回、『サブウェイ』『最後の戦い』『バンカー・パレス・ホテル』『散歩する惑星』『さよなら、人類』といった映画をピックアップしていく時、これら5本の作品になにか通底する感じがあるような気がするけれどもそれは何だろう?と考えていたのだが、見慣れた世界がそれまでとは違って見える/感じるという“センス・オブ・ワンダー”をキーワードに行き着いた。これらの作品によって誘われる不思議な異化作用を是非楽しんでほしい。

リュック・ベッソン版『勝手にしやがれ』?

 何故だか『サブウェイ』の印象を“パンクなSF”と捉えていた。それは水蒸気が煙る地下道でボサボサの金髪、タキシードで蛍光灯を構えたあの姿に影響されているのかもしれない。しかし、この映画は歌のような映画であり、何度でも観たくなる、お気に入りの曲のような魅力にあふれている。

映画の冒頭は、引用句が示される。
―――
To be is to do存在は行動なり(ソクラテス)
To do is to be行動は存在なり(サルトル)
Do be do be do ドゥビ・ドゥビ・ドゥー(シナトラ)
―――
まるで、理屈ではなく、これはフランク・シナトラのスキャットのような映画なのだと宣言しているかのようだ。意味のない音をメロディーに合わせて即興的に歌う。それがこの映画の気分なのかもしれない。

『サブウェイ』©1985 GAUMONT / TF1 FILMS PRODUCTION

 本作は、 “リュック・ベッソン版『勝手にしやがれ』”と言ってしまいたいようなところがあり、お話自体は、ボーイ・ミーツ・ガール、ファム・ファタール、そして古典的なおとぎ話だ。物語を構成する要素は、リュック・ベッソンによってスキャットのように意味から離れ、物語=メロディーとなっていく。あえて映されない省略されたお話の要素は、会話の中にバラバラに散りばめることで済ませてしまい、ある限定された時間軸の中だけで映画は描かれる。その省略された部分を含めながらまとめると―

 金持ちの男に拾われた貧乏娘エレナは、夫の策略や贅沢な生活にうんざりしている。そこへ現れた鳥の巣のようなボサボサの金髪頭のパンクス、フレッド。彼に惹かれ、エレナは誕生日パーティーに招待する。ところがフレッドは、金庫を爆破し、“書類”を盗んで逃走、地下鉄のホームから広がる地下世界に入り込む。警察、エレナの夫の手下が入り乱れるなか、フレッドは地下世界の奇妙な住人達でバンドを結成し、コンサートをひらこうとする。フレッドを追ってやってきたエレナもそのコミュニティのなかに入って束の間のひと時を過ごし、心を通わせる。そしてコンサートが始まるが―。

―という話なのだが、エレナが贅沢な暮らしにうんざりしている様子、エレナとフレッドの出会い、金庫の爆破、その理由、なんの書類でなぜ重要なのか等、観客には明らかにされない。

『サブウェイ』©1985 GAUMONT / TF1 FILMS PRODUCTION

 「タキシード姿のパンクス、ゴージャスな耳飾りとドレス、この男女を地下鉄の風景の中に登場させたかったから物語をそうしただけ。」と言わんばかりだ。しかし、これが理屈抜きにカッコいい。地下道のヴィヴィッドな色、列をなす蛍光灯、その光を反射するステンレス、ノイズとともに走り抜けていく地下鉄―。地下の住人達はリズムを刻みメロディーを奏で、映画のBGMとして一体化していく。そうして、今まで知っていた小道具、服装、風景だったはずの何もかもが、違って見えてくる。いわゆるSFではないのに、SFのような異化作用がこの映画には働いており、作品の空気感を決定づけている。

 もしかしたら、シネフィル的な批評の文脈での「映画」ということではこの作品はあまり話題に上らないのかもしれない。それでも本作は、映画のもっている自由で躍動的な面白さ、詩的なイメージにあふれている。

荒れ果てた世界のボーイ・ミーツ・ガール

 『最後の戦い』は、リュック・ベッソンの長編第一作で、セリフ無し、コントラストの強い白黒映像、エレクトロな音楽やノイズによって構成された野心作だ。

『最後の戦い』©1983 Gaumont

 会話に必要なカットの切り返しがなく、時折挿入される表情や部分的なクローズアップ、
動きが出る時に音楽がつくことなどの表現方法にサイレント映画を彷彿とさせる要素があるため、この映画にはどうやらセリフが無いのだなと気づく。

 廃墟となっているオフィスやホテル、病院が住処となっていることから、それまでの世界は失われてしまっており、生き残りをめぐって戦っているようだ。

 そうしてスクリーンに見えているものから物語への理解を掬い上げながら観ていくと、最後にこの映画もまた、ボーイ・ミーツ・ガールのおとぎ話だったことに気づくだろう。

トーンと風景の映画

 『バンカー・パレス・ホテル』は、終始沈んだトーンで描かれる未来世界。リュック・ベッソン2作を観た後だと、そのテンポ感の違いに戸惑うかもしれない。周辺の描写のストロークが長く、映し出されていくのは、崩壊していく閉ざされた世界だ。心を通わせるようなドラマはあえて避けられ、ストーリーはシンプルだ。ある社会が壊れて終わっていく時、政府高官が社会と切り離れたところで助かろうとするが崩壊に飲み込まれていくことだけが描かれる。それは1989年の東欧革命後、ソ連や東ヨーロッパ各国における共産主義が崩壊していく心象風景といえるのかもしれない。

「バンカー・パレス・ホテル」© 1988-TF1 INTERNATIONAL-FRANCE 3 CINEMA-ARTE-TELEMA

 続くロイ・アンダーソンの映画もトーンとしては暗く、閉じている。人々は映像を構成するパーツとして動き、人間ドラマというよりは、風景だ。奇妙なガジェットや装置は登場するが、現実世界をベースにして全く別の風景を作り出そうとしている。長編作品ではあるのだが、短編のSFを読んでいるような感覚があり、これも異化作用なのだろう。

「さよなら、人類」© Roy Andersson Filmproduktion AB

 『バンカー・パレス・ホテル』、『散歩する惑星』、『さよなら、人類』は、映画としての快楽というよりは、オブジェや抽象画を眺めているような気分に近いかもしれない。深夜に一人で濃い目のブラックコーヒーとともに観るのが似合う。

全ては好みの問題ではあるものの、このラインナップ全てを観ていった末に、もう一度「サブウェイ」に戻っていってみてほしい。何回も見たくなるのが腑に落ちることだろう。

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